青春の軌跡
私は保健師になる前は県立病院の看護師でした。看護学校を卒業してすぐに県立西宮病院に就職して内科や小児科病棟に勤務していました。看護師になろうと思ったきっかけも、父親が高3の時に脳卒中で急死したので大学進学を諦めたからです。特に看護師に憧れたわけでもなく、理想もなく手に職をつけた方が将来は良いかな?というだけのことでした。母親の実家は眼科の開業医で、叔父も医者をやっており、当時は看護師というと親戚からはランクが下に見られていたので嫌でした。4年間病棟勤務をしましたが、医師の指示の下で働く看護業務は限界があるし、面白くないと思ったので退職し、兵庫県立厚生専門学院保健学科に進学して保健師の道を選びました。
西宮市は私の第2の故郷といってもいいくらいの青春の思い出があるところです。阪神大震災の時も仕事が忙しくてボランティアで駆けつけることができなかったので、長年心苦しく思っていました。これまでは神戸市にはたまに行く機会があっても、西宮で途中下車することもできなかったのですが、今回初めて西宮市保健所から講演依頼があって約40年振りに訪れることができました。講演会は100人以上の参加があってみなさんが熱心に聞いて下さり、質問もしっかりあってとても気持ちの良い一時を過ごすことができました。保健所長さんはじめ保健師さんたちとも出会えて良かったです。県立西宮病院も建て替えて大きくなっており街もすっかり変わっていました。当時、私は甲陽園に住んでいたので、夙川から二駅の甲陽園にも行ってきました。駅からの道は昔のままでしたが、建物などの面影はなく、ずいぶんの年月が経ったのだなというのを実感してきました。夙川から甲陽園までは武庫川沿いの桜と緑の六甲山と高級住宅街で本当に素敵なところです。
保健師学校の同級生とも再会する機会もあって、夜、お食事をしながらいろいろお話をしましたが、仕事の中味によって興味や関心が違うので40年の歳月が生き方もそれぞれ違ってきているなと思いました。同級生も定年退職しており、嘱託で勤めているのは一人で、他の人は自由な時間を過ごしているようでしたが、60歳過ぎてからの人生は結構長いので、どう過ごすのかはその人自身なのでしょう。私は何も仕事もしないで家にいるというのは耐えられないと思いました。やっぱり、この仕事が好きですね。家族問題で困っているクライアントとの出会いや回復に付き合っていけるというのは、大変な仕事だけど面白い。面白いと思える間は多分ボケないでしょう。まだまだ頑張ります。