私が世田谷区でアルコール相談の担当を担当していたとき、松沢病院の看護師さんたちや精神保健福祉センターのソーシャルワーカーさんたちと、事例検討などで交流していました。その頃の出会いは20数年以上経っても懐かしく、親しいものです。沖縄から上京して精神病院で働いていたある一人の看護師さんが、閉鎖病棟で何もしない、無為な状態の患者さんたちを見て、このまま一生病院の中で過ごさせていいのだろうか?自分の看護はこれでいいのだろうか?と、疑問を持ち、考えました。私にも問いかけてきた思い出があります。その彼女は、都立病院を退職し、同じ志を持つ仲間とグループホームを立ち上げました。給料の保証もない、資金も少ない、本当にゼロからの出発に、勇気があるな・・・と感心しました。とても私にはできない・・・と思いました。
彼女の志や笑顔は、徐々に仲間を増やしていき、共同作業所も開設しました。私もたまに患者さんをお願いしたりするために作業所にも行きましたが、社会復帰して地域で生活していくには必要不可欠なところになっていました。グループホームも、共同作業所も、下高井戸駅前の商店街のど真ん中にあって、精神障害者が市民と共に普通に暮らしていく場になっていました。そして、2003年には社会福祉法人格を取得したそうです。すごい!!
しかし、彼女は肝臓がんのために、6月に天国に召されました。59歳だったそうです。先日、“伊野波ヒデ子さん卒業パーティ”があり、出席してきました。利用者・医療・福祉・保健・ボランティア・商店街などから多くの関係者の方たちが集って思い出を語り、甥さんが編集したビデオで彼女の生涯を見せてもらい、とても印象深い故人を送る夕べでした。彼女は自分の一生は悔いのないものであったという遺言を残したそうです。人生を卒業したということでした。私も、悔いのない死に方ができるのか、人生を卒業したといえるのか、死との対面はその人の生き方が反映されます。思い起こせば、あのときの、一つの出会いが、心に残るものであったからこそ、こうしたお別れができたのでしょう。いろいろ考えさせられた卒業パーティでした。伊野波さんのご冥福を心から祈ります。