◆幕末維新祭りの開催

◆景観整備

■幕末維新祭りの由来とこれまでの経緯

萩・世田谷幕末維新祭りの目的
幕末期に吉田松陰が現在の世田谷松陰神社に葬られ、その後明治2年に弟子達が同じ場所に祠(ほこら)を建て、その後現在の世田谷松陰神社となった。」という歴史事実に鑑み、祭りを通じ「ふるさと世田谷・若林」を愛する区民、青少年の心を醸成し、また、萩市民および広く幕末維新の歴史をもつまちとの市民レベルの交流を深めることを目的とします。
◆経過
 萩市商店街と世田谷松陰神社通り商店街との交流事業を契機にスタートする。
 ・平成4年10月24〜26日  
  第1回萩・世田谷幕末維新祭り開催
         (*東京都中小企業振興公社補助事業)
 ・平成5年10月22〜24日  
  第2回萩・世田谷幕末維新祭り開催
         (*東京都中小企業振興公社補助事業)
 ・平成6年10月22〜23日  
  第3回萩・世田谷幕末維新祭り開催
         (*東京都中小企業振興公社補助事業)

 ・平成 7年1〜現在 

  毎年10月第4土曜日、日曜日に開催
平成15年に第12回目を開催しました。

 *平成15年第12回開催より会津との交流もスタートしました。

明治2年、処は世田谷若林村
千住小塚原から改葬された吉田松陰の遺骨が眠る
この地に新たに祠を建立するため、
集まった門下生ら、幕末の志士達

現在の世田谷松陰神社の起源となった、吉田松陰の祠を建立するために集まった門下生たちの貴重な集合写真です。吉田松陰はまさに世田谷に眠っているのです。
 写真の中には、広沢真臣(明治政府の参議)、前原一誠(後の萩の乱を起こす)、そして現在の日本大学・國學院大學の学祖となる山田顕義の顔が見える。


◆幕末維新のまちづくり<商店街景観整備>
◆東京都「ふれあい商店街」事業
 平成9年10月26日竣工

*平成4年から始まった「萩世田谷幕末維新祭り」第6回目開催に合わせて竣工しました。

*景観整備のテーマは「松陰・萩と世田谷の交流」です。

1)街路灯は全てステンレス製で、塗装も萩焼きをイメージした色合いを出し、色褪せないように、車で使う塗装を施しました。明かりも、水銀灯の無機質な明かりをやめ、暖色系のライトにしました。なぜか、日本では水銀灯が主流ですが、暖かい街の色を出したいと考えました。
 また、街路灯の内部に街路灯スピーカーを内蔵、さらには、吉田松陰ほか高杉晋作、久坂玄瑞ら松陰門下生の肖像・写真のプレートをはめ込んであります。

2)松陰神社前駅、世田谷通り入り口、松陰神社前交差点の3カ所に4基の照明兼用のゲートポールがあります。「松陰神社通り」の揮毫は、世田谷松陰神社宮司斎藤式生氏によるものです。

3)松陰神社前駅、世田谷通り入りには地域案内サインを設置。商店街のみならず、地域案内、松陰神社の由来も掲載しています。

4)その他景観整備;総合的な景観整備を行うために、それまで商店街の上を縦横無尽に張られていた電線、電話線を数十メートル単位にまとめて、横断するという整備を東電・NTTのご協力で実現しました。
さらに、電柱の地上2.5mの部分を茶色の防護シートで巻き、電柱広告も景観に会わせて、デザイン・色合いを統一させました。

◆計画・デザイン NYネットワーキング