
2009年10月、ぼくは柔道を習いたいと思って市内にあるスポーツ施設6か所ほどに電話をかけた。しかし、時間や曜日などどこもぼくの希望に合うところがなかった。諦めかけていた時、隣接した市に大きなスポーツ施設があることを思い出した。しかし電話をかける前にためらったのは、市民ではないことと60歳を過ぎていることだった。それでも電話で問い合わせてみると「そのどちらも問題にはならないと思うので、一度見学に来てはどうか」という返事をいただけた。そしてその日から毎週火曜日と土曜日の夜はそのスポーツセンターに通い続けることになった。63歳9か月の時だった。
それまでぼくはテニスだけを50年間やって来た。テニスはネットを挟んで試合をするので、相手の体に触れることはない。唯一触れるのは試合の後で握手する時だけだ。だが柔道は袖や襟を掴むし終始相手の体に触れることになる。そして柔道着で顔を擦られたり、柔道着の上から蹴られたり掴まれたりするので、青あざや赤あざが絶えない。幸いにもこの2年間に骨折などの大きな怪我はしていないが、左のふくらはぎを思い切り蹴られて、その部分が内出血になり倍くらい腫れてしまったので整形外科に通院したことはあった。それでもぼくが稽古に通うのは「人間の体の仕組みを熟知した上に技がある」というところに面白さを感じるからだ。始めた頃の体重は78kgだったが、今は70kgにまで落ち、メタボもクリアーしている。それもそのはずで、1時間ほどの稽古の間に半袖シャツを3枚着替えているが、どれもびしょびしょになるほど汗をかくからだ。
埼玉県では小学生が昇級すると白帯から水色(7級)→黄色(6級)→緑色(5級)→紫色(4級)へと帯の色が変わってゆく。中学生以上になると紫色の帯が、更に茶色の帯(3級→2級→1級)に変わってゆく。3級は礼法・受け身・乱取りの審査で合否が決まり、2級は2勝もしくは通算3勝、1級は3勝もしくは通算5勝で合格になる。1級に合格しないと次の審査(初段)は受けられない。ぼくの場合はこれまでに1級の審査を5回受けて、通算4勝になっていた。だからあと1勝すれば合格だということは分かっていた。しかし3分間の試合を4回するうちに、1回目で勝かも知れないが4回目に勝のかも知れない。だが、1回も勝てずに終わる可能性だってある。自分の不安や恐れとの戦いが始まった。
ところがそんな矢先、左ひざに酷い痛みが出て階段を下りるのも大変な状態になってしまった。急いで整形外科に行くと「膝の潤滑油に相当するものが減っているためだ。ヒアルロン酸という薬を患部に5回注射すればよくなる」と言われた。柔道会の先生にも相談したところ「そうした症状はよくあることだから注射した方がいい」と勧められた。審査まで2週間しかないし半信半疑ではあったが、再び整形外科を受診してその注射を打ってもらった。すると翌朝には痛みがピタリと止まっていた。
これはこの2年間の審査結果である。
2009年10月13日 入門
2010年02月07日 3級合格
05月30日 2級合格
10月03日 1級審査①(1勝0分3負)
12月12日 1級審査②(0勝2分2負)
2011年02月06日 1級審査③(1勝0分3負)
04月03日 1級審査④(1勝1分3負)
05月29日 1級審査⑤(1勝0分3負)
審査当日は集合時間の2時間前にぼくは起きて風呂に入り、「平安の祈り」を唱えた。そして最後に小さな祈りをそれに添えた。毎回稽古の終わりには全員で黙想をするのだが、その時にぼくが唱える祈りだった。
「神様私にお与えください
自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを
変えられるものは 変えてゆく勇気を
そして 二つのものを見分ける賢さを
私の意志ではなく、あなたの意志が行われますように…」
2011年10月16日、ぼくは6回目の1級審査を受けることになった。幸運にも初戦に勝つことができて、この日の結果は2勝0分2負だった。そして通算成績は6勝3分16負となった。25回戦ってやっとぼくは1級に合格することができた。入門してから丁度2年目だった。審査会の後、先生や仲間たちがぼくのために祝勝会を開いてくれた。
いよいよ次の日曜日は県立武道館で初段の審査を受けることになった。そしてぼくは、もう一度あの祈りを唱える。
「私の意志ではなく、あなたの意志が行われますように…」

2011年10月