7月11日(金)

 ぼくはこれから仲間と、アメリカ合衆国東海岸へ一週間の旅に出る。目的はSexaholics Anonymousという性依存症者の相互援助グループの世界大会に参加することと、それに関連する施設を訪問することである。
 11:10am東京(成田)発ワシントン・ダレス国際空港行きの全日空(NH)0002便に搭乗。247人乗りのB777型機は、ほぼ満席だった。これから12時間半は機内生活かと思うと、ちょっとうんざりだ。その間にトイレに立つ以外は運動もできない。ひたすら目の前のテレビを見ながら、2回の機内食と中間のスナックや水分補給で時間を費やすことになる。
 結局、ワシントン・ダレス国際空港に着くまで眠れなかったが、食事はすき焼きやカニご飯、そば、ローストビーフなどの他に、フルーツやハーゲンダッツのアイスクリームもついていて、美味しかった。

 7月11日(金)

 10:40amワシントン・ダレス国際空港に到着。殺風景な飛行場というのが第一印象だった。乗り継ぎの乗客を運ぶ奇妙な形のバスに乗り、かなり離れた場所で入国審査を受ける。空いているので良かったと思ったら、これにとても時間がかかり、指紋や顔写真までとられた。
 全日空のカウンターで、これから先の航空券が取れているかを確認。その後、ATS(エアポート・トランスポーテーション・セキュリティ=空港警備)のチェック。ふと見ると、仲間の姿が見えない。手持ち用のバッグに鍵をかけていたのと、その中に性依存症の本や英文の手記が入っていたことで、怪しまれたらしい。
 それでも、全日空のアメリカ人スタッフが、乗り継ぎ通路からずっとついてくれていたので、助かった。彼女は綺麗な日本語を話し、来月から1年間日本の大学に留学するのだという。12:44am発のクリーブランド行きは、全日空(NH)7126と聞かされていたが、UA7163に変わっていたため、結局彼女がクリーブランドに行く飛行機の搭乗口まで案内してくれた。
 今度は小さなジェット機なので、横一列は4席分しかない。1席分の通路を、太った黒人女性の乗務員が、ペットボトルの水を片手に、「ワラー、ワラー」と言いながら、行ったり来たり。国際線とはまるで違ったサービスだ。
 クリーブランドには2:00pmに到着予定だったが、20分ほど早く到着。さっそくコンチネンタル航空のカウンターに行き、航空券のリコンファーム(再確認)をする。
 クリーブランドからアクロンまではシャトルバスで行かねばならない。空港でホプキンスという名前のシャトルバスを探す。やっと見つけたオフィスの窓ガラスに、Welcome Home Conference(SAの世界大会の名称)と書かれた紙が貼ってあったので、ひとまず中で待つことにする。結局乗ったのはぼくたち2人と、もう1人だけで、アクロンのラディソン・ホテルまでの運賃は1人$33だった。
 ホテルの入り口でレジストレーションし、ネームタグと食事券、AAツアーのチケットを渡される。AAの国際大会は5年に一度だが、SAの国際大会は半年に一度開かれており、ぼくはこれまでにオレンジカウンティとレジャイナとサクラメントに参加していた。
 今回も「テンポラリー・スポンサー(カンファレンス期間中の臨時スポンサー)を希望する人は、ネームタグに☆のマークを付けたメンバーに声をかけてください」という案内文がボードに貼られていた。ディナーまで1時間ほどあるので、部屋に入り少し横になる。
 ディナー会場に行くと、既に大勢の人たちでごった返していた。10人ずつの円卓はどこもほぼ満席で、その中からやっと2席空いているテーブルを見つける。同じテーブルにカップルが2組いて、互いに自己紹介する。
 11年前にカナダのレジャイナ大会でお世話になった仲間がぼくを見つけ、「ハーイ、ヨシ!」と声をかけてきてくれた。ディナー会場にはユダヤ教の信者たちも少なからずいて、長い髭をはやしたり、丸い敷物のようなものを頭に載せたり、シャツの両サイドにはひらひらした飾りをつけたりしていて、食事も別メニュー、スピーチする時にはマイクロフォンを使わないといった独特の雰囲気を醸し出していた。
 ディナーの圧巻は、ソブラエティが1日の人から始まって、1ヶ月以内、1ヶ月以上2ヶ月以内・・・という風にカウントアップし、そこに該当する仲間が一列に並んだ。記念のメダルをもらうと「私は感謝しながら回復の道を歩んでいる、性依存症者の○○です」と自己紹介。
 ソーバーを日数で言う人もいれば、「何年何ヶ月」と言う人もいたし、「ソーバーが始まったのは、何年何月何日です」と言う人もいた。
 ぼくは1994年7月29日からソーバーが始まったので、「13年以上14年未満」とコールされた時に列に並び、自己紹介した。遠い日本から来たということで、ぼくたちは大歓迎された。最後に「今日ここに参加した仲間のソブラエティを合算したら、819年になった」という報告に、会場がどっと沸いた。
 後日チェアパースンから届いたメールでは、SAメンバーが476人、S-Anonメンバーが202人で、アクロン大会の総参加者数は678人とのことだった。

 7月12日(土)

 7:30amに朝食をとりに、仲間と19階に行く。朝食を頼んでいない人たちはホスピタリティ・ルームに用意されているコーヒーやジュース、水、デニッシュやバナナ、オレンジなどを自由に飲食していた。
 9:00amから10:00amまでは、ホテルの外部に立てられたテントに行き、仲間のスピーチを聞いた。しかし、内容はよく理解できなかったので、その場の雰囲気に浸っていることにした。メールでシャトルバスのことを教えてくれたアメリカの仲間が、「シャトルバスには乗れた?」とニコニコしながら声をかけてきた。メール相手との初対面だった。
 60分の分かち合いを終えると、仲間たちと輪になって英語で「平安の祈り」を唱えた。するとどこからか歌声が聞こえてきた。そちらに歩いて行くと、近くの教会に属している人たちだろうか、広場に集まって『アメージング・グレイス』を歌っていた。その歌声にしばらく聞き入ってしまった。 
 10:30amにテントに戻り、また仲間の話を聞く。シンガポール人だという男性が親しげに話しかけて来たので、2年前にシンガポールに行った時に会った仲間のことを聞いたが、彼は知らないということだった。
 この日のランチはエサノンの主催だったが、昨夜と同様に会場は大勢の人たちで溢れていた。ぼくはけっこう食事量が多い方だと思うが、そんなぼくにも多い食事量で、デザートのケーキは無理やり押し込む有様だった。2:30pmからAAツアーがあるが、それまで部屋で昼寝をすることにする。
 2:10pmにロビーに集まり、トロリーバスに乗る。直後に夕立になるが、雨の中を出発。ガイド役の仲間がいて、1935年にAAが生まれたいきさつを説明。所縁の場所(ドクター・ボブの家、ビル・ウイルソンとドクター・ボブが出会った場所、初めてのミーティング会場、ボブ夫妻のお墓、ミーティングの帰りにみんなが立ち寄ったドーナッツ店等)を次々に回った。ホテルに戻って来た時、ガイド役をしてくれた仲間に「ガイド用の台本をコピーしてくれないか?」と頼むと、彼は「どうぞ」と言って、あっさりそれをぼくにくれた。
 夕食の時間になってディナー会場に行くと、この日も円卓はどこも大混雑。やっと奥に2席空いているテーブルを見つける。そこに近づくと、スポンシーから声をかけられる。「昨日来れずに、今日になってしまった」と。フロリダから来た彼と再会を喜び合い、明日は8:00amにホスピタリティ・ルームの前で待ち合わせて、一緒に食事をとる約束をする。
 今日のテーブルにもカップルが2組いて、互いに自己紹介する。一組のカップルはカナダ人の男性とスペイン人の女性だった。男性は「元依存症の治療施設で働いていたが、現在は彫刻の仕事をしている」と言って、自分の作品をデジカメで見せてくれた。ぼくも持って行ったデジカメで版画を見せると、「ウエブサイトにはいつ載せるのか?」とすごく興味を示してくれた。そのやりとりを見ていたもう一組のカップルからも、「私たちにも版画を見せて?」と言われて見せる。デジカメが国際交流に一役かってくれるとは、思ってもみなかった。
 パートナーの女性がスペイン人だというので、「ぼくはプラシッド・ドミンゴの歌う『グラナダ』が大好きなんだ」と言うと、彼女も「私も大好きよ!」と微笑んだ。ミーティングも、コミュニケーションも、共通点探しがポイントだと思った。

 7月13日(日)

 昨夜も熟睡できず、2時間ごとにトイレに起きた。朝ホスピタリティ・ルームの前でスポンシーを待つが、姿を現さないのでぼくだけバナナとデニッシュとジュースで朝食を済ます。結局1時間待ったが、彼が来ないので9:00amからエサノンのオープン・ミーティングに参加。落ち着いた雰囲気の女性が司会をしていた。
 SAメンバーはネームタグにグリーンのラインが入っていて、女性メンバーもいくらかいたが、オレンジのラインが入ったネームタグを付けた男性の姿は、ほとんど見かけなかった。つまりエサノンの大多数は妻か恋人か母親なのだろう。
 書籍売り場で目にしたのは、エサティーンという文字だった。アラノン(アルコール依存症者の家族と友人の集まり)には、アラティーンという10代の子どもたちの集まりがあることは知っていたが、エサノンにもあるのは知らなかった。ミーティングの途中でスポンシーが部屋に入って来た
 12:00pmにホテルをチェックアウト。アメリカの仲間が、ぼくたちをクリーブランド空港まで車で送ってくれた。コンチネンタル航空のカウンターで手続きをし、荷物を預ける。ところが空港警備で、また仲間が引っかかってしまう。それでも何とかクリアーし、キングズバーガーで昼食をとる。
 「4:20pm出発予定のボルティモア行きの飛行機は遅れる」という表示は、1時間ごとに「1時間遅れる」という表示に変わり、結局8:30pmになって「今日は欠航だ」と言われる。理由は嵐だということで、スクリーンを見ると確かに東海岸に長い前線がかかっていた。
 水色の紙をもらい、「ホテルは自分で探せ」と言われる。この旅最大のピンチ! さてステップはどう使ったら良いのだろう。神様の意志は何?
 計画通りにやろうとすることに対して無力を認め(第1ステップ)、この状況からでも脱出できると信じ(第2ステップ)、自分に出来ることはやって神様に委ねる(第3ステップ)。これしかない。
 水色の紙を握り締めて、コンチネンタル航空のカウンターに行くが、「航空券は明後日の分しか取れない」と言われてしまう。またしても無力。取りあえずバッゲージ・クレイム(荷物受取所)に行き、荷物を取ってくる。
 9:00pm過ぎなのに、外はまだ明るい。自分に出来ることを人に頼むのは依存だが、自分に出来ないことを人に頼むのは健康なのだから、ここは助けを求めようと考えた。空港のインフォメーションを探し、そこの男性に「ホテルを探して欲しい」とお願いする。
 「これくらいの値段でどうか?」と聞かれたが、とにかく泊まる場所の確保が先だと思い、「OK」と答える。彼はホテルに電話を入れてくれ、「ホテルのバンが10分くらいしたら、迎えに来る。運転手の名前はリチャードだ」と言って、バンが来る所までぼくたちを案内してくれた。何て親切な人なのだろう。お土産用に作っておいた「平安の祈り」の栞を彼に渡しながら、お礼を言う。
 やがてコートヤード・ホテルのバンがやって来た。リチャードであることを確認して、バンに乗り込む。どうやらマリオット・ホテルの系列のようだ。フロントで宿泊手続きをした後、航空機の予約の相談をしたり、ボルティモア空港でぼくたちを待っていてくれるJ神父に電話をかけたりする。
 改めて明朝フロントで予約の手助けをしてもらおうとも思ったが、朝はチェックアウトの客で込み合うかも知れない。そう言えばJTBの案内に24時間日本語サービスをやっている、と書いてあったのを思い出した。4:00amにフロントから電話をかけると「航空会社のオフィスが開くのは、10:00amからだ」と言われる。それから予約を取れても、今日の便は無理だろう。「空港は何時から開いているのか」と尋ねると、「朝9時には開いている」とのこと。それなら空港に行って、コンチネンタルのカウンターで直接交渉した方が良さそうだ。

 7月14日(月)

 6:15amにホテルのバンに乗り、クリーブランド空港に行く。空港のカウンターはまだ朝の6時だというのに、大勢の人たちで込み合っていた。「昨日4時間待ったがボルティモアに行けなかった。今日はどうしても行きたい」と伝えると、やっと2枚の航空券を確保できた。
 8:25amにクリーブランドを出発できれば、9:45amにボルティモアに着ける筈だ。しかし今度は、ぼくまで空港警備に引っかかってしまった。靴を脱がされ、ボディチェックされ、鞄の中は電子辞書まで円形の試験紙のようなもので念入りに検査された。
 やっとのことで通過。久しぶりに七面鳥のサンドイッチ(ターキー・クラブ・ラップ)$6.99を見つけ、それとフルーツ入りのヨーグルトを買って、搭乗口近くのベンチで食べる。しばらくすると、搭乗口変更の掲示が出て、D4に移動。出発時間も9:10amに変更。「又か」と思っていたら、行き先もボルティモアではなくなってしまった。「ええっ? そんな馬鹿な・・・」と思い、そばの乗客に「ボルティモアには行かないということなのか?」と尋ねると、「それは大丈夫だ」とのこと。つまりボルティモア経由という意味らしい。飛行機に乗り込んで、別の乗客に「ぼくらは忍耐のトレーニングを受けているね」と話すと、「まったくだ」と言って笑う。
 ボルティモア空港には、予定時間よりかなり早くに到着。だが、ここでもひとつ問題が残っていた。ぼくたちを迎えに来てくれるのがJ神父だということは分かっているのだが、顔を知らないのだ。しかも出口が何箇所もある。仲間が公衆電話からJ神父の携帯電話に電話するも、繋がらず万事休す。と、そこへ背の高い外国人が近づいて来た。そして日本語で「吉岡先生ですか?」と声をかけて来たのだ。「ああ、Jさん?」。
 ハイヤーパワーを感じる瞬間だった。彼の車に乗せてもらい、合衆国東海岸の主要道路459を走り、メリーランド州シルバースプリングに向かう。そこはぼくたちが今日から滞在させていただく場所で、「ホーリー・ネーム・カレッジ」という名が付けられたフランシスコ会の修道院だった。まずJ神父にお土産を手渡す。
 とにかく外観もクリーンだったが、キッチンの中まで本当に清潔で、調理道具などがきちんと整理されていた。庭に「ラルフ」という名前の犬(ラブラドール)がいたが、全然吠えない。その理由は後で分かったのだが、修道院は中庭を囲む2階建てなので、初めてここに連れて来た時に、自分が吠える声が反響するので、怯えて?吠えなくなったのだという。ぼくは犬恐怖症なので、ここにいる間は彼の治療を受けることにした。
 予定ではこの日、施設を訪問する約束だったが、飛行機が飛ばなかったため、J神父が明日に変更してくれていた。そのため、「今日の午後はワシントンDCを観光し、夜は地域のSAミーティングに行こう」という話になる。
 ぼくたちは再び彼の車に乗せてもらい、キャピタル(議事堂)、ジョージ・ワシントンのメモリアル・モニュメント、トーマス・ジェファーソンやアブラハム・リンカーンの記念堂などを巡り、ユニオン・ステーションの近くで買い物をする。とにかく建物がでらぼうにデカイ! 果たしてこのデカさは、一体何を表現したいのだろう?
 ミーティングに行く前にケンタッキーで夕食をとり、J神父がウエブサイトで調べておいてくれた場所に向かう。そこは教会で、車を止めて暫く待つと、仲間たちが集まって来た。結局この日のメンバーは、ぼくたち3人を含めて6人だった。7:30pmから1時間ミーティング。疲れに加えて夕食後だったため、ホワイトブックは読んだものの、仲間の話を聞いている間も睡魔との闘いで、自分の話は出来なかった。J神父はミーティングの後で、「ヨシはグリーンブック(『性依存』の愛称)を書いたんだ」とアメリカの仲間に話していた。
 9:00pm過ぎに修道院に戻り、シャーベットを食べながら雑談。普段はここで40人くらいの修道士(司祭)や神学生が生活していて、学生たちは世界各国から来ているということだった。ぼくたちも一部屋ずつ綺麗な部屋を用意して頂いた。

 7月15日(火)

 今日の午前中は休息。9:00amに起きて洗面、髭剃り。食堂に行って、シリアルと牛乳とトースト2枚ごちそうになる。一度に4枚も焼けるトースターを見たのは初めてだった。セクレタリーのコニーが明日ワシントン・ダレス国際空港まで行くシャトルバスの予約を取ってくれた。
 1:00pm~3:00pmセイント・ルーク・インスティテュートを訪問。3人のスタッフからお話を聞いた後、施設長秘書のケティが施設の中を案内してくれた。(訪問記は、エッセイ第24話
 修道院に一度戻ってから、ジョージタウンにある銀行に向かう。「SAミーティングの会場が銀行?」と思いつつ、またJ神父の車に乗せてもらう。J神父は「この会場もウエブサイトで見つけたので、ぼくも知らない」と言う。修道院を出る時に、駐車場で修道院長に会い、挨拶する。サングラスをかけた私服の修道院長は、映画俳優のような人だった。
 ジョージタウンでは町中に鉢植えが吊るされていて、ピンク色の花はサルスベリだと言う。その花が町の花だというのだが、どうやってあんな高い所に吊るした鉢植えに毎日水をあげるのだろう。やっとミーティング会場になっている銀行を探し当て、外階段を上ってゆくと、中には大小4つほどの部屋があり、すでに一つの部屋ではAAミーティングが始まっていた。
 SAの会場になっているという部屋には、60ほどの椅子が半分ずつ向き合うように並べられ、その中央にはチェアパースンの椅子が、その両側の壁には12のステップと12の伝統が貼られていた。
 睡眠のリズムがすっかり変わってしまったためだろうか、久しぶりに頭痛が始まった。ぼくは受付の男性に水をもらって薬を飲むことにした。始まる時間になったのに、誰も来ないので、ぼくたち3人で日本語ミーティングを始めた。これもハイヤーパワーの粋な計らいなのだろう。
 ミーティングの後、傍のハンバーガー・ショップでJ神父にハンバーガーとダイエット・コークをご馳走になる。その後、夕暮れの町を少し歩き、ナイキの店で妻や子どもたちにお土産を買う。
 修道院に戻ってきても頭痛は続いていたが、それでも施設訪問記を書いて、二人に見てもらい手直しする。ベッドに入っても頭痛は治まらず、夜中も2時間おきにトイレに起きた。

 7月16日(水)

 早朝に施設まで歩いてみると、10分ほどの距離だった。「平安の祈り」の栞と、成田で買った着物地の袋を入れた紙袋の表に、昨日案内してくれたケティの名前を書いて、施設のスタッフに手渡す。
 6:20am修道院に戻って来る。昨日は病気で治療を受けに行っていたラルフが、今日は元気な姿を見せ、尻尾を振っている。ぼくは修道院の枕がとても気に入ったので、J神父に「これはどこで手に入れられますか?」と尋ねると、「盗んじゃえば?」と笑いながら言う。結局彼が交渉してくれて、その枕をプレゼントしてもらえた。
 修道院へのお礼はJ神父と相談し、献金させていただくことにした。8:30amに迎えに来る筈のシャトルバスが遅れ、J神父が電話。教会の敷地が広いために迷っていたようだった。約1時間シャトルバスに乗り、ワシントン・ダレス国際空港に到着。料金は2人で$41だった。
 空港では全日空のカウンターで、また「留学生」に会う。彼女もぼくたちを覚えていてくれていた。彼女にも「平安の祈り」の栞を渡す。これから再び「13時間の旅」が始まる。
 13年前、ぼくは仲間に連れられて、初めてSAの国際大会に参加した。レジストレーションをするや否や、「君は日本から来た初めての仲間だ。ディナーの後でスピーチして欲しい」と言われたことを思い出した。ぼくは左手にフォーク、右手にペンを握りながら英作文に取り組んだ。料理の中身も味も記憶にはない。一緒に行った仲間に見てもらった原稿を読みながら、短いスピーチをした。すると、そこにいた200人ほどの仲間たちが、立ち上がって拍手してくれたのだった。その後も、彼とは二度国際大会に参加した。
 今回の大会でも、ぼくは回復に向かっている大勢の仲間たちの間を漂っていただけだった。これまでと違ったことは、インターネットを使って、自分で参加手続きをしなければならないことだった。不安も多かったが、分からないことは仲間たちが助けてくれた。そのお陰で、安全な旅になった。
 日々の生活に12ステップを使ってゆけば、乗り越えられないものはないということが実証された旅であったし、ぼくが「ぼく」を理解するために、病気が与えられたのだと実感した旅でもあった。
 “Short journey but a fruitful journey”(短い旅でも、どうか実りある旅を)と言ってくれたケティの言葉を、旅の終わりにぼくは今、噛みしめている。
 回復プログラムに、仲間に、そしてぼくたちを守り続けてくださったハイヤーパワーに感謝せずにはいられない。

(2008.8 吉岡 隆) 

第23話 実りある旅を・・・

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