
演奏会が終わって12時間近くになるのに、まだ気持ちが鎮まらない・・。
初めて新小岩の練習会場に行ったのは、2007年5月12日だった。ぼくはセカンド・テナーだが、そこに行くまではまだパート練習の段階だろうと高をくくっていた。しかし会場に入ると、もうみんなはアンサンブルの段階だった。予想に反した驚きの後に来たのは、ついて行けるだろうか?という不安だった。
後で分かったことなのだが、北村協一メモリアルコンサートの練習が始まったのは1年半前のことで、その半年後から指揮者の太田先生が指導して下さるようになり、ぼくが仲間に加わったのは、更にその半年後のことだったのである。だからみんなよりも1年遅れたスタートになってしまった。
『柳川風俗詩』は歌ったことがあったが、『荘厳ミサ曲』の方は第一曲目の「キリエ」しか歌ったことがなかった。「キリエ」から始めて、終曲の「ピエ・イエズ」まで歌うと、解説を入れなくても40分ほどの大曲になる。気力も体力も必要だし、ラテン語も覚えねばならない。
プロ歌手はひとつの曲を130回も歌いこむという話を聞いたが、ぼくは公式練習では64時間ほどしか歌っていなかった。それに自宅での練習時間を加えても100時間まで行っていなかっただろう。コンサート前日まで、暗譜にするか楽譜を持つか迷っていた。楽譜を見ながら歌うと、指揮者の指示を見落としかねない。だが暗譜で歌う自信もない。一人が1/4拍でも早く飛び出してしまったら、その曲はぶち壊しになってしまう。結局、『荘厳ミサ曲』の半分ほどは楽譜を見ながら歌わせてもらうことにした。
演奏会当日の天気予報では、午後から雨になるということだったが、朝9時の集合時間の頃には、もう雨がポツポツ降り出した。数日前から、気持ちが高揚してゆくのが、自分でも分かった。急に、練習していない曲を歌うことになり慌てたが、夢だと分かってほっとした。相当緊張しているようだ。
すみだトリフォニーの前に集まると、一人ひとりに入館許可証が手渡された。建物の中に入り、全員で体操をしながら体をほぐし、本番直前まで発声練習に時間が割かれた。
そして、最初のステージに上がった。1800席もある大ホールはほぼ満席で、暖かい拍手にぼくたちは迎えられた。『柳川風俗詩』は、その詩から情景を思い浮かべながら歌い終えることが出来た。しかしアンコールの『千の風になって』を歌っていた時だった。突然感情が高ぶり始めたかと思うと、協ちゃんとの思い出があっと言う間にぼくを包み、遠い学生時代に連れ戻した。目頭が熱くなり、ぼくは歌いながら落涙していた。先輩からは「感情移入するとそういうことはあるが、泣いて歌えなくなったら駄目なんだ」と言われた。でも、どうすることも出来なかった。
『荘厳ミサ曲』の方も、最後まで神経を張りつめた状態で、なんとか歌い切ることができた。そして、アンコールの『アメージング・グレイス』になった。この曲にはぼくなりの思い入れがあったので、自分なりに練習してソロのオーディションも受けた。だが当日、音を取り違えた瞬間に、歌詞を全部忘れてしまうという大失態を演じてしまった。それに加えて、ぼくにはF(上のファの音)を張って歌うことが出来なかった。「ソロの練習に時間を割くことが出来るのなら、セカンドのパートをしっかり歌えるようにしなさい」というのが協ちゃんの意志だったんだと気がついたのは、オーディションが終わってからだった。
80人の団員が日本全国のみならず、海外からも駆けつけて歌う機会は、二度とないかも知れない。そんな機会を作ってくれた協ちゃんに改めて感謝したい。それと当日コンサートに来てくださった家族や友人や大勢のみなさんにも。
(2007.10 吉岡 隆)

