
先日、子ども虐待防止活動をしている「オレンジリボン」から原稿依頼があった。ぼくは相談室のパンフレットの職種名に、ソーシャル・ワーカーと書いてきたが、その原稿の職種名には、リカバリング・ソーシャル・ワーカーと書いてもらうことにした。
ぼくは臨床心理学を専攻したが、自分の「体質」に合わなかった。ぼくの大学時代には、大学闘争が終焉に近づいていた。ぼくはセクトに入っていたわけではないが、教員と学生との関係に「うさん臭いもの」を感じていた。その臭いを最初に感じたのは、小学生の頃だったが、時を経てもそれは同質の臭いだった。「強者の論理」への疑問が、ぼくの子どもの頃からのエネルギー源になっていった。
卒業後ぼくは、MSW(医療ソーシャル・ワーカー)ではなく、PSW(精神医学ソーシャル・ワーカー)になりたいと思ったので、最初に勤めた精神病院でPSW協会に入会した。協会活動に携わってゆくうちに、PSWの国家資格が出来ることになり、ぼくは協会をやめた。
「試験に受かれば、精神保健福祉士の国家資格が取れるのに、なぜやめてしまうのか?」と思った人もいたと思う。でもぼくは、相談に来られるのはクライエントなのに、ぼくと何の利害関係もない厚生労働大臣が資格を与えるというのはおかしいと思ったのだ。それこそクライエント不在だと。相談に来られるのがクライエントなら、そこでソーシャル・ワーカーの資格を判断するのも、当然クライエントのはずだ。その思いは今も変わらない。
柳沢伯夫厚生労働大臣は、2007年1月27日に松江市で少子化について講演した際に「15から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械というのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」と述べた。精神保健福祉士の国家資格を与えているその人の発言だった。
政治家になるための資格や免許などはない。ない人が資格を与えるというのもおかしな話だが、安倍晋三首相は、資格や免許で判断することができない大臣を、どんな根拠で選んでいるのだろう。
むろんぼくは、技術を磨いたり知識を蓄えたりする必要がないと言っているわけではない。そうしたものは、時代とともに変わりうるものだから、もちろんぼくも手を抜いたりはしていないし、心身のセルフケアには時間もお金も惜しんではいないつもりだ。
アディクションの分野では、よくアメリカから来たリカバリング・カウンセラーの話を聴くことが多い。彼らはアルコール依存症や薬物依存症から回復してきた人たちだが、男性も女性も皆一様に落ち着きがあり、とても魅力的だ。彼らも資格を持ってはいるが、ぼくは資格を通して彼らを見たことは一度もない。
彼らの回復への意欲や心を開く姿に、ぼくは感銘を受けるのだ。そして「自分の回復したところまでしか、クライエントの回復を手伝えない」という正直な言葉を聴くと、更に共鳴するのだ。その度に、ぼくも彼らのようにクライエントから支持される仕事をしたい、回復したい願望を持ち続けるソーシャル・ワーカーになりたいと強く思う。
これからは相談室のパンフレットにも、リカバリング・ソーシャル・ワーカーと書くことにした。
2007.2 (吉岡 隆)