
あなたにお手紙をさし上げるのは初めてですので、ぼくが何者であるのかから筆をとることにします。ぼくは今58歳ですので、もしかしたらあなたのお父さんくらいの年齢かも知れません。
ぼくもあなたと同じソーシャル・ワーカーですが、これまでの相談活動の場は、精神病院が11年半(この内アルコール病棟は4年)、精神保健福祉センターが6年、児童相談所が8年、保健所が1年で、公務員をやめて民間相談室を開いてから6年半になりました。長さを合計すれば30年余りの相談活動になりますが、その中で経験してきたことを、あなたと分かち合いたいと思います。
ところで、あなたの相談室にはティシュの箱が置いてありますか? テーブルの上にティシュの箱が置いてあるのは、よくある光景です。では相談に来られた方が、話の途中で涙を流された時にはどうされましたか? 目の前で泣かれているのを見ていると、自分が辛くなってついティシュを差し出したりはしませんでしたか? ぼくは数え切れないほど、そうしてきました。
ある時、ぼくはアメリカにある薬物依存症回復施設の所長の講演会に出席しました。ぼくは回復のお手伝いをしてきたつもりだったのですが、そこで彼の話を聞きながら、自分が正反対のことをしていたことに気づいたのです。
クライエントが涙を流すということは、ワーカーとの相談関係ができてきたということですし、凍てついていた自分の感情がやっとそこで解けはじめたということなのです。クライエントは自分の頬を伝わる涙を肌で感じ、安心して泣きたいだけ泣くことでしょう。
ところが、ぼくが辛いために、あるいはぼくがいい人に思われたくてティシュを出したらどういうことになるでしょうか。それは解放されかけた彼女の感情を寸断し、涙も止めてしまうことになるのです。まさに回復の妨害です。所長は言いました。「ぼくはティシュの箱は用意しておくけれど、1枚のティシュも差し出さない」と。
このことからぼくたちは何を学べば良いのでしょう?ぼくは、クライエントの持ち物を見せてもらったわけではありませんので、クライエントがティシュなりハンカチーフなりを持っているかどうか分からない筈です。それなのにティシュを出すというのは、調査もせずに持っていないと見做したからです。
「小さな親切、大きなお世話」とよく言いますが、このような思いあがり病、うぬぼれ病のことを「共依存症」と呼びます。もともとカウンセリングは、クライエントに自己解決能力や回復力があると信じるところからスタートします。しかしソーシャル・ワーカーが共依存症者だったとしたら、クライエントの回復できる力を奪っているかも知れません。では共依存症者でない援助者というのはどんな人なのでしょう。
ぼくが児童相談所にいた時のことです。職場の人間関係がもつれ、ぼくは一週間近く職場を休んでしまいました。(この時の話は『マイ・ストーリー』の中に詳しく書いてあります)
ぼくが助けを求めた先はアルコール依存症回復施設でした。そこのスタッフは皆アルコール依存症からの回復者なのですが、ある朝うかない顔でその施設を訪れると、スタッフのひとりがぼくに対応してくれました。
彼はぼくの表情を見て、これは何かあったぞと思ったのでしょうが、敢えてぼくには何も聞きませんでした。その代わり午前中のミーティングに出る機会だけをぼくに与えてくれました。それはとりもなおさず、彼がぼくの回復を信じてくれたからだと思います。
もしぼくが彼の立場にいたら「顔色が良くないですね」とか、「今日はお休みなんですか?」とか、「何かあったんですか?」とか余計なことを聞いたことでしょう。彼は回復の場だけを用意し、あとのことはぼくに任せてくれたのです。ぼくがそれまでやってきた「援助」は、手を出し、口を出すことでした。でも彼は手も出さず、口も出さず、別な表現をすれば「援助しない援助」をぼくにしたのです。お蔭でぼくは元気を取り戻しました。
彼はAA(アルコホーリクス・アノニマス)というアルコール依存症者のセルフヘルプ・グループのメンバーでした。そこでは日々の生活に12のステップを使っています。この時彼が使ったのは3つのステップで、ぼくに対する無力を認め(第1ステップ)、ぼくの回復を信じ(第2ステップ)、自分を超えた大きな力にぼくをゆだねて(第3ステップ)くれたのだと思います。ですから今でもぼくは彼に感謝しているのです。
でもぼくは、駆け出しのソーシャル・ワーカーの頃から、アルコール依存症者が好きだったわけではありません。実際に関わって苦労して嫌いになったのならともかく、関わりもしないのに分かった気になって彼らを嫌っていました。30年余りの相談活動の前半がそうでした。薬物依存症者にいたっては、そばに来ることさえも毛嫌いしていたのです。今でこそ一緒に魚とりに行ったりもするのですが、当時は考えもしないことでした。
そんなぼくを変えたのは回復の道を歩いている大勢のアルコール依存症者や薬物依存症者でした。彼らはぼくが空想していたアルコール依存症者や薬物依存症者とは全く違っていたのです。ぼくが一番ひきつけられた魅力は、落着きのあることでした。
AAやNA(ナルコティクス・アノニマス)という薬物依存症者のミーティングに参加した初期の頃は、みんなが自分には問題があると言っているのに、ぼくにはないと本気で思っていました。そのうちみんなにあるのに、ぼくにだけないというのはおかしいと思うようになりました。そして、とうとう自分の問題に向き合わざるをえなくなったのです。
ぼくは何度も何度も女性問題を起こしていました。それが繰り返されていたということは、ぼくがそのことから何も学んでいなかったからです。AAのミーティングに定期的に参加するようになって4カ月目にも女性問題を起こしました。それが今のところ最後の女性問題になっています。
AAのミーティングに出ながら、ぼくは性に依存する自分をひどく恥じていました。性に依存するなんて最悪だ、どうせ依存症になるのならアルコールや薬物の方が良かった、と狂った頭で考えていたからです。でも、ミーティングに出続けるうちに職業に貴賎がないように、依存症にも貴賎などないということが分かってきました。
自分の問題が見えてきて、次に見えてきたものは自分の家族の問題でした。ぼくに兄弟がいない分、両親の関心はぼくに集中していました。でもぼくの方は、怒りを溜めている父親と自分で不安を増幅してしまう母親に対していつも戸惑いをおぼえていました。薬物依存症の青年が「俺のことはほっといてくれ!」と叫んだり、摂食障害の少女が「お母さんが幸せになることを考えてよ!」と言う気持ちがぼくには痛いほど分かります。
自分の家系図(ジェノグラム)を書いてみると、ぼくの家系を流れているのはアルコール問題であることがはっきりしてきました。父方祖父もアルコール依存症者でしたし、母方継父はアルコールの他に暴力もありました。ということは、父親も母親も機能不全家庭で育って大人になった人、つまりAC(アダルト・チャイルド)だったのです。当然その流れはぼくに受け継がれ、ぼくの職業選択や配偶者選択にも影響を与えることになりました。
家族療法ではIP(Identified Patient)という言葉を使うのですが、これは「患者として登場した人」とか、「患者として選ばれた人」とか、「たまたま患者になった人」とかいう意味です。つまり、家族というのは一定の時間と空間を共有しあう関係ですから、そこで家族の一人に問題が出たということは、他の家族に問題が出てもおかしくなかったということです。
問題のない人などいないわけですし、問題のない家庭もないでしょう。つまり、家族全体に投げかけられた共通のテーマは、「この問題から私は何を学んだら良いのか」ということです。5人家族の中で家族の一人がアルコール依存症になったのなら、本人も含めて5人それぞれが、この問題から自分は何を学んだら良いのかという視点に立たなければ、責任のなすり合いにもなりかねません。アバウトな表現をすれば、自分が変わる必要のある20%を探し、それを引き受けるということです。もしこれが達成できたら、アルコール依存症者への恨みは感謝に変わり、以前の家族とは比べものにならないほど、大きく成長した家族がそこにはいるでしょう。
人は気づくことができれば学ぶことができます。学ぶことができれば変わることができます。そして、変わることができれば成長することができるのです
ぼくは自分がどんなテーマを抱えているのか全く分かりませんでした。ぼくが依存してきた一番大きなものは性と人間関係でした。自分の人生を振り返ると、ある時期まではそれらがぼくが生き延びるために必要なものだったのだと思います。ところがいつからか、それらの救急救命士は殺し屋に変わっていました。依存症は再生か死の病と言われているように、あのまま行っていたらぼくも命をなくしていたことでしょう。
ではなぜ依存症にならざるを得なかったのかということですが、ぼくは自分でも薄々は分かっていたのは、沢山の否定的感情を抱えながら生きていたことです。怒りや恐れ、悲しみや恨み…。中でもぼくの否定的感情の中核を成していたのはセルフエスティーム(自己肯定感)の低さでした。それは殆ど育っていなかったも同然だったのです。そしてこうした否定的感情の麻酔薬が性だったり、人間関係(共依存)だったりしたのだと思います。
鼻持ちならないぼくの高いプライドは、劣等感の裏返しでした。本物のプライドなどぼくにはなかったのです。
ぼくは自分のセルフエスティームが育っていなかったので、誰かから必要とされることでそれを育てようとしたのでしょう。つまり、ソーシャル・ワーカーという仕事を選んだのはけっして偶然ではなかったのです。
対人援助職にとって知識を蓄え、技術を磨くことは大切ですし、資格や免許を取ることも良いことでしょう。でも一番大切なことは、心身両面のセルフケアをしっかりとすることです。メンタルケアの3本柱は、カウンセリングを受けて自分の抱えているテーマを明らかににすること。そして共通する問題から回復しようとしている仲間がいるセルフヘルプのミーティングに参加すること。更に少しでもクライエントに不利益を与えないようにスーパービジョンを受けることです。
ぼく自身、カウンセリングは3年半受けました。自分にできることを人に頼むのは依存ですが、できないことに助けを求めるのは健全なことだということをそこで学びました。12ステップを使うセルフヘルプのミーティングには、通い始めて17年になります。ぼくにとっての希望は、そこに行けば回復モデルに会えることです。そして自分も彼らのように回復できると信じることができます。スーパービジョンは現在もふたりの先生から指導を受けています。
むろんフィジカルケアも並行しておこなってゆかねば良いサービスは望めません。そしてぼくは、自分自身のアイデンティティをリカバリング・ワーカーというところに今は置いています。
ぼくは、今まで多くの人たちに育てられてきました。中でも一番育てて下さったのは間違いなくクライエントです。ですから、ぼくにソーシャル・ワーカーの資格があるかどうかを決めるのはクライエントだと思っていますし、これからもクライエントの支持が得られるような活動をしてゆきたいと思っています。
そろそろ筆を置くことにします。あなたとも、きっとどこかでお会いする日がくるでしょう。その時はあなたの経験をぜひぼくに分かち合ってください。
2004年晩秋
2004.12 吉岡 隆
(社)埼玉県医療社会事業協会西部ブロック発行『おーぷんはあと』別冊より転載しました。
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