
娘から電話が入った。ぼくの従兄弟が急に亡くなったということだった。通夜には間に合わず、翌朝早くぼくは母親と特急列車に乗り、告別式の会場に向かった。子どもの頃、ぼくは兄貴風を吹かせて彼の名を呼び捨てにしていたのを思い出しながら。
実は彼にはアルコール問題があり、3年ほど前からはAAのミーティングにも通っていた。しかしアルコールは止まっていなかった。釣りが好きな彼は「友だちとイワナを釣りに行くけど、一緒に行かないか?」と一度誘ってくれたことがあった。ぼくは行ったことのない湖だったので、わくわくしながらその仲間に入れてもらった。真夜中にみんなで彼の家を出発する時、叔母は「お酒を飲まさないように見ていてね」とぼくだけに聞こえるように言ったが、「釣りに行くのでそれはできません」と無愛想にぼくは断った。山小屋に着くとさっそく酒盛りが始まったが、ぼくは食事だけを済ませて早々に布団に入った。
夜明けにぼくと一緒に山小屋を出た人がひとりだけいたが、あとの人たちには起きる気配すらなかった。その時はじめて、最初から目的が違っていることにぼくは気がついた。だが、釣り用の餌を何種類もみんなが用意していた意味は何だったのだろう。
それでもぼくはひとりで湖に下りて行き、手の切れるような冷たい水の中に入ってイワナを待った。澄んだ空気を吸い、美しい山の景色を見ただけでも来た甲斐はあったが、やがてロッドの先が揺れ、リールを巻いてゆくと湖面を照らす朝日の中でイワナがだんだんと姿を現してきた。透明感のあるなんて綺麗なイワナなんだろうとぼくは思った。その時に撮ったイワナの写真は今でもぼくの部屋にある。
帰路で「今夜も家に帰ったら飲み会だ」という話し声を聞きながら、自分が間違いなく場違いの所に来ていたことをぼくは実感した。
告別式の後、初七日の法要が営まれたが、そこで挨拶に立つ人たちは口々に「亡くなった父親の分まで家業を頑張れ」といった内容の言葉を彼の息子に送っていたが、ぼくはそれを聞いているうちにだんだん腹が立ってきた。この人たちは彼の死がアルコールがらみであることを知らないのか? 知ろうとしないのか? 知りたくないのか?
アルコール依存症者の家庭で育った子どもたちは、そのことだけでも重荷を背負っているのに、更に重荷を背負わせるようなことはやめて欲しかった。ぼくはたまりかねて彼の息子の耳元でこう囁いてしまった。「みんなの期待に応えようなんて考えることはない。君の人生は君のものなんだから、君らしく生きればいいんだ」と。
問題が繰り返されるということは、その問題から何も学んでいないということになる。問題から気づきが生まれ、気づきから学ぶことが出来れば、ひとは変われる。変わった時、初めて学んだことになる。家族のひとりが病気になったのなら、共通する設問は本人にも家族にも同じである。「この問題から私は何を学んだら良いのか?」
「アルコール依存症者の死亡平均年齢は、日本でもアメリカでも52歳だから、君たちのお父さんは3年長く生きられたことになるね」とぼくが言うと、彼の娘がいみじくもこう言った。「3年前にAAに繋がれたお蔭なんでしょうね」。合掌。
2004.12 (吉岡 隆)