警察署の調書には3人の名前が併記されていた。
 逮捕者;吉岡 隆 被害者;○○○○ 被疑者;□□□□
 事件はある日の夕方、ターミナル駅で起きた。電車が駅に着き、ドアが開いた直後のことだった。
 同じ電車に乗っていた女性が「あの人痴漢です!」と、ぼくに助けを求めるように叫んだ。とっさに電車を降りたぼくは、数メートル先にある階段に向かう男の背後から体を抑えた。「今触っただろう?!」「触っていません」「触ったじゃない!」「ごめんなさい」というやりとりが3人の間であった。ぼくにがっちり抑えられ、長身で痩せたその男は小刻みに震えていた。車掌に早く駅員を呼んで欲しいと言ったのだが、実際に駅員が来るまでに10分近くかかった。が、ぼくにはもっと長く感じられた。
 「体が痛いから放してください」「触られた人のことを考えたら、痛いも何もないだろう」「はい。でも逃げませんから放してください」「いや逃げるからダメだ」そんなやりとりをしているうちに、男は傍のポールにもたれるようにしゃがみこんでしまった。そこにやっと駅員が到着し、駅員とぼくは男の両脇を抱えるようにして、立ち上がらせた。
 駅員から「事務室に来てください」と言われ、被害者とぼくも事務室に向かった。ぼくが「被害届を出された方が、彼の立ち直るチャンスになると思います」と言うと、その女性は「私もそう思います」と同意見だった。事務室に入ると、奥の部屋に男は入れられ、駅員が交番に通報。ぼくたちは男のいる部屋の前のベンチで、警察官を待つことになった。ぼくが逮捕したということで、駅員が500円分のテレフォンカードをぼくにくれたが、ぼくが被害を受けたわけではないので、そのまま彼女にそれを渡した。
 やがて2人の警察官がやってきて、簡単な事情聴取をされた。そこで終わるものだと思ったら、結局交番まで行くことになり、警察官の後について駅前交番に向かった。「このての事件は多いんですか?」と問うぼくに、その警察官は「毎日痴漢事件はあるけれど夕方は珍しいですね。たいていは朝のラッシュ時か、終電の頃の酔っ払いの痴漢なんですけど」と答えてくれた。交番に着くと、更にそこから警察署まで行って欲しいと言われ、交番の横に待機中のパトカーに乗って、鉄道関係者しか通れないような通路から、管轄警察署に向かった。 警察署では生活安全課に行き、逮捕者と被害者と被疑者(別のパトカー)の3人は、それぞれ別の取調室に通され、事情を聞かれた。ぼくの調書を取った警察官は、パソコンで書類を作りながらも、扇風機をかけてくれたり、清涼飲料水を買ってきてくれたりと、気を使ってくれた。ひとつの事件におそらく5人以上の警察官が関わって書類を作っている様子だった。そして調書には3人の写真も添付され、署名の右に捺印代わりに左人差し指を押すように言われたが、指紋を採られているようでいい気分ではなかった。 
 被疑者は捕まったのは初めてだと言っていたが、警察が前科を洗うとそれは事実だった。年齢は30歳前後かと思ったが、20代前半の学生だった。調書の1枚は電車内の位置関係を書く略図で、そこに被害者、逮捕者、被疑者の3人の位置を書いたが、なぜか電車の最後部の図のコピーだった。現行犯逮捕手続書はぼくが書き、被害者は被害届を書いたが、既に「痴漢被害がありましたのでお届けします」という書式になっていた。ぼくの調書を取った警察官は、話をよく聞いてくれる人だったので、痴漢というのは性依存症の中の窃触症という病気であること、カウンセリングやセルフヘルプのミーティングに通うことで回復が可能であることなどの話をした。すると彼はすごく関心を示し、「先生の書いた本をぼくも買って勉強します」と言われたので、互いに名刺を交換した。「調書の最後に何か言いたいことはないですか?」と聞かれたので、「彼には何の恨みもありません。これを機に回復プログラムにつながってくれることを祈っています」とぼくは答えた。
 警察署を出たら既に10時を回っていたので、3時間以上も警察署にいたことになる。しかし、これもハイヤーパワーの計画だったのだろうと思いながら、夜の街をぼくは後にした。

2004.11(吉岡 隆)

第13話 あの人痴漢です!

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