先日ぼくは弁護士から「証人尋問をするので、クライエントの裁判に出てもらえないか」という依頼を受けた。それが両親の希望でもあることを確認し、「そのことが彼の回復のお手伝いになるのなら」とぼくは了解し、さっそく弁護士とその準備に入った。
 約束の時間よりも早く、ぼくは東京高等裁判所を訪れた。雨の日の午後だったが、裁判所の入口は大勢の人たちでごった返していた。空港の所持品検査と同じことを裁判所でもやっており、ぼくも手荷物をそこで渡した。裁判所の受付に「ここには法廷がいくつくらいあるんですか?」と尋ねると、「各階に30ほどはあるので、おそらく百数十はあると思いますが、正確な数はわかりません」という答えだった。
 弁護士に案内されながら、両親とぼくはエレベーターに乗り、法廷に向かった。すでに傍聴席には被害者とその弁護士、そしてもうひとり見知らぬ男性が座っていた。証人尋問の申請を弁護士がしていたので、書記官からぼくは手渡された書類に住所や氏名などを書き、捺印して渡すと、宣誓書の内容を確認された。そこには、真実のみを話すということが書かれていた。
 この日の裁判には30分間が用意されていた。時間になると法衣を着た3人の裁判官が現れ、審理が始まった。弁護士は証人尋問の採用を求め、検事はその必要はないと述べると、裁判長は「陳述書は採用するが、証人尋問は棄却する。判決は1週間後」と言って、10分足らずで閉廷してしまった。
 その瞬間、ぼくの心には怒りが沸いてきた。「これでは無駄足じゃないか?!」と。弁護士と両親はとても恐縮されていたが、ぼくの怒りは裁判官に対してのものだった。なぜその場まで証人尋問の採否をきめないのか。証人が仕事を休んだり、交通費をかけて来ることに何とも思わないのか。30分も時間を用意してあるのだから、話を聞くくらいしても良いのではないか。これまでもこういうやり方をしてきたのだろうが、これからも変えるつもりはないのだろうか。
 ぼくは怒りが出るときは、いつも似た状況のことが多い。典型的なのは、相手の中に「権威」や「権力」の臭いを感じた時で、その瞬間ぼくの頭の中で『ロッキーのテーマソング』が聞こえ出すのだ。チャラーン・チャーン・チャラーン・チャーン…というアレだ。そうなったら、法廷もリングに早変わりしてしまう。ぼくの薄っぺらな正義感に火がつくと、「問題はあいつにある。俺はノー・プロブレムだ!」といういつものファイティング・ポーズをぼくはとっている。そのことで何回も失敗してきたというのに。
 「問題のない人間はいるのか?」と問われれば、「むろん、いない」とぼくは答えるし、「家庭や職場のように一定の時間と空間を共有した人間関係の中でトラブルが生じた場合に、自己責任がゼロということはないだろう?」と問われれば、「そのとおり。原則はフィフティ・フィフティだと思う」と冷静な時のぼくは答える。
 しかし、冷静さを欠いた時のぼくは、そんな2つの原則を忘れて、精神的には相手に飛び掛かっている。これは反応ではなく、反射である。なぜなら、ぼくが知っている司法の仕組みは表面的なことでしかないし、裁判官の置かれている状況も理解しているわけではないからだ。つまり自分の無知は棚に上げて、相手を非難し正そうとしているのだ。こうした思い上がりが、怒りの背後に隠れているのだ。そのことに気づかされたのは、先週のAAミーティングだった。「過去と他人は変えられない」わけだし、だからと言って変えるべきところを黙認するつもりはないが、ぼくに必要なことは「自分の側の掃除」なのだ。だったら、ぼくの引き受けるべき50%は何なんだろう?
 感情が反射的に出たこと自体は仕方がない。しかし、法廷で裁判官に向けた怒りからぼくが学ぶ必要のあることは、確かにある。『アルコーホーリクス・アノニマス』には、「われわれの知っていることは、ほんの少しだけだ」という一文がある。ぼくが怒る時はいつも「謙虚」という言葉すら忘れている時である。自分の性格上の欠点に取り組むのがステップ6と7だが、今回の出来事はぼくの最大の欠点を見事なまでに浮き彫りにしてくれた。そして「自分が気づくために、問題が与えられる」と言った仲間の顔を、ぼくは今思い出している。

2004.10(吉岡 隆)

第12話 自分の側の掃除をする

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