2004年1月の接心から戻ってからも、ぼくはあの新聞記事のことが妙に頭から離れなかった。ぼくが上智大学に入学したのが昭和40年で、大学院を終了したのが昭和46年だから、新聞を読んだのはその6年間のことだろう。しかしその新聞が、当時家でとっていた読売新聞だったのか、大学が発行した上智新聞だったのかが、どうしても思い出せなかった。読売新聞社に電話すると、「昭和40年代の記事ではパソコン検索できないので、縮刷版で探すしかない」とのこと。図書館で一日がかりの仕事になりそうだ、そうぼくは思った。上智大学に上智新聞の問い合わせをすると、広報課に電話を回してもらえた。「ウイークデイの5時までに来れば、上智新聞の閲覧ができる」という。
 その後しばらくして、そう言えば神冥窟を建てたのは1969年だと書いてあったことを思い出した。
1969年というのは昭和44年で、ぼくが大学を卒業した年だった。大学闘争の最中でキャンパスは大学当局によって閉鎖され、ぼくたちは御茶の水の喫茶店に終日粘って、クラス討論に明け暮れる毎日だった。心も体もボロボロにすさんでいた。そんな時期にその記事を見たのかも知れない。
 ぼくはまず上智大学の広報課に行くことにした。そこになければ読売新聞だと思ったからだ。行ってみると、やはり古い新聞は縮刷版になっているので、図書館で探すことになると言われた。それで図書館に行き、卒業生であることを話し、縮刷版を読みたい旨を伝えて、書庫の中を探し回った。やっとの思いで縮刷版を見つけ、1969年1月から記事を探し始めた。すると1970(昭和45)年2月1日の新聞にラサール神父と神冥窟の写真と記事を見つけたのだった。ぼくは思わず「やった!」と、心の中で叫び声をあげた。
 そうか、あの記事は上智新聞だったのか、そう思った。が、どこか自分の記憶と違うような気もした。近くの書架を見ると朝日新聞や毎日新聞の縮刷版と並んで、読売新聞の縮刷版もあるではないか。もしかしたら、と思いながら1970(昭和45)年の新聞を読んでゆくと、2月8日(日曜日)の宗教の欄にもラサール神父と神冥窟の写真と記事を見つけたのだった。なんというハイヤーパワーだろう。2冊の縮刷版を抱えながらぼくはコピー機にコインを入れた。だが興奮するあまり、拡大したい箇所をコピーするのが一苦労だった。やっととれたコピーを、宝物でも扱うようにぼくは大事に鞄に入れて持ち帰った。
 相談室に戻ってそのコピーを見ると、もともと縮小されたものを、今度は拡大したために漢字が潰れてしまっていた。なんとか凸レンズで読もうとするのだが、どうしても読めない文字がいくつもある。これにも無力だと思った。又、読売新聞社に電話をすると、紙面コピーサイズがあるという。担当者には、マイクロフィルムから現像すれば、縮刷版よりも見やすいかも知れないと言われた。A2の新聞紙サイズで600円だというが、この際依頼することにした。
 あとはラサール神父が今どうされているかだが、メリノール宣教会でイエズス会の名簿を調べてもらえば分かるかも知れないとアドバイスをもらえた。2004年1月26日、イエズス会日本管区(03-3262-0282)に電話で問い合わせをしたところ、ラサール神父をは1990年に亡くなられたとのことだった。享年92歳だった。

2004.2 (吉岡 隆)

第8話 34年前の新聞記事

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