AA(Alcoholics Anonymous)のステップ11には、こう書いてある。
祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
でもぼくは祈りと黙想の違いが分からずに、ステップ・セミナーで語る仲間の言葉の中に答えを探したり、聖職者に尋ねたりしていた。ある日、「自分が神に語りかける言葉が祈り。神が自分に語りかける言葉が黙想」だという言葉を聞いて、すとんと腑に落ちる思いがした。
年の瀬に、学生時代に二度訪れたことがあった禅堂に電話を入れた。年の初めは、祈りと黙想の時間からスタートしたいと思ったからだ。すると「元旦から接心があるので、来ますか?」と電話の相手に尋ねられた。ふらっと立ち寄る気分でいたぼくは、不意を突かれた。「3日まででも良いのなら」と答えると、「良い」と言われその瞬間禅堂行きの話が決まった。自慢気にか、不安気にか友人にその話をすると、「自分も行ってみたい」とのこと。ちょっと気が楽にはなったが、後戻りも出来なくなった。
ぼくが坐禅を習ったのは鎌倉の円覚寺で、初心者のための土日坐禅だった。専門用語を言われても何のことだかさっぱり分からず、ただ追い飛ばされて右往左往するばかりだった。そしてちょっとでも動けば、あの木の棒(警策)でしたたか両肩を打たれた。音だけだと高をくくっていたら、渾身の力をこめて叩かれた。
その後しばらくの間、ぼくは坐禅と距離をとっていた。ところが、「神父が禅堂を建てた」という新聞記事がぼくの関心を再び引いた。読んでみると、その人は上智大学の修道会であるイエスズ会のフーゴー・ラサール神父だった。ラサール神父は、1898年にドイツに生まれたが、1929年に来日。1945年には広島で被爆したが、奇跡的に一命をとりとめた。1948年に帰化し、日本名は愛宮真備(えのみや ・まきび)。当初は広島市郊外に神冥窟を創設したが、ダム工事のためやむなく廃止。1969年に東京都西多摩郡檜原村に秋川神冥窟を設立した。キリスト教徒の聖職者として、禅を実践的に導入したのはラサール神父が史上初めてだった。
秋川神冥窟の中では鐘や拍子木などを合図にはするが、右手の上に左手をかぶせ、背筋を伸ばしても伏し目の状態で歩き、挨拶も交わさない。作務の時も食事の時も言葉は発さない。禅堂では20人ほどの男女が朝5時から夜9時まで坐禅をし、集中するのは自分の吸う息と吐く息だけで、ひたすら沈黙の時が流れる。坐禅は苦行ではないというように、円覚寺の時よりはゆるやかだったが、やはり緊張した三日間だった。ぼくの場合は、次々にやってくる雑念と戯れていて、自分の息に集中することはできていなかった。
独参の時に指導にあたったアメリカ人のシスターから、「どうですか?みんなと一緒に坐禅している時と、したい人だけが坐禅する随座の時とでは違いますか?」とぼくは聞かれた。「みんなと一緒の時の方が気持ちが引き締まります」と答えると、「私もそうです」と笑いながら言われ、ぼくはセルフヘルプと共通するものを感じたのだった。明日は座蒲を求めに仏具屋に行くつもりだ。
(吉岡 隆)