
ぼくは、3月20日にアメリカがイラクへの戦争を始め、その後も毎日のようにTVや新聞でそのことを見聞きしていたのに、2週間以上も時間を看過してきてしまった。今ぼくは具体的な行動を何ひとつしてこなかった自分を恥じている。戦争に対して反対の意思表示をしなければ、それは賛成していると受けとられても文句など言えないだろう。
人類はこれまでに数えきれないほど沢山の戦争を繰り返してきた。しかし、そこからいったい何を学んできたのだろうか。戦争によって沢山の血と涙が流されたが、これまでに一滴でも意味のあるものがあったとは思えない。戦争の度に新しい武器が登場し、その性能が公然と誇示される。それらはどれも人を殺すための道具であり、戦争はまぎれもない殺人行為なのに、そうした映像を繰り返し見ていると、ぼくの中で感覚麻痺が起きてくる。それがぼくは怖い。
ぼくにできることはないのか。どんな些細なことだっていい。まずは行動だ。そう思って今朝、相談室でぼくはテプラに文字を打ち込んだ。STOP!WAR そしてまずそのシールを、相談室のドアの内側と外側とホワイトボードに貼った。次に同じシールを自分のスケジュールノートの表紙とジャンパーの背中にも貼った。さらにぼくが投函する郵便物にも、そのシールを貼った。もっと出来ることはないか。そうだホームページにもこれを載せよう。そう思って今この原稿を書いている。
ある友人は言う。「戦争は子どもたちにとって最大の虐待だ。」と。しかし子どもたちばかりではなく、人類にとって一番ひどい虐待が戦争だとぼくは思う。力を力で抑えることができたという錯覚は、まちがいなく次の錯覚へと連鎖してゆくだろう。
戦争によって敗者は、家族も財産も、自分の命までも奪われる。むろん勝者にしても無傷というわけにはゆかない。たとえそれが上官の命令であったとしても、銃の引き金を引いたのは自分だし、ミサイルのボタンを押したのは自分なのだから。そして「人を殺した」という心の傷を抱えながら、生涯を送ることになるのかもしれない。
つまり戦争は街も人びとの心も粉々に壊すことはあっても、何ひとつとして建設的なものには繋がらないものなのだ。「復興支援」する用意があるのなら、その費用と時間を「発展支援」に転換した方がはるかに有効な手立てになるとぼくは思う。そのためには、今すぐこの戦争を止めなければならない。
ジョージ・ブッシュはこの戦争に、「神の祝福を!」と言い、サダム・フセインは「これは聖戦だ!」と言ったという。ぼくは、自分が謙虚になるために神が必要だと考えている人間なのだが、ふたりとも「神の意志だ」などと言わずに、「自分の意志だ」と正直に言えばいいのにと思った。
もし大統領の命の重さと一兵士の命の重さにちがいがあったら、そこから間違いが始まっているとぼくは思う。自分たちは安全な場所にいて、部下たちに命を晒させていることに何の疑問も持たないのだろうか?ジョージ・ブッシュもサダム・フセインもキム・ジョンイルも、そんなに戦争をしたいのなら、国民を巻き込まず3人だけで巴戦をやればいいのだ。ただし武器は一切持たずに互いに素手で。
ともかく、世界中で広がってゆく反戦の声に、ぼくの声も届いてくれたらと思う。
“STOP! WAR”
2003.4(吉岡 隆)