この5年間に、私は依存症関係の書籍を何冊か出版することが出来ました。1997年には『援助者のためのアルコール・薬物依存症Q&A』、1998年には『依存症(35人の物語)』を。1999年には、なだいなだ先生から光栄にも『アルコーリズム』(朝日文庫)の解説を書く機会を頂きました。この本は30年前に『アルコール中毒』という題名で出版され、以来今日まで読み継がれてきた名著です。そして2000年には『共依存−自己喪失の病−』、2001年には『性依存−その理解と回復−』を出版しています。

 依存症の分野では、アルコール・薬物などの物質依存や、ギャンブル・仕事などのプロセス依存よりも、人間関係依存(共依存)の方が、遥かに巧妙で、不可解で強力だと言われています。その理由の一つは「偽りの愛」という武器で、相手をどこまでも侵略してゆくからです。
 むろん、いち早くこの「病い」に気づいて来談されるクライエントも、最近ふえてきています。なぜなら、「共依存(症)」は、アルコール依存症者の妻だけの病気ではなく、人間がいる所ならどこにでも存在しうるものだからです。
 そして、これまであまり触れられていなかった対人援助の場(医療・教育・福祉等)ですら、この問題は明確に存在していることを『共依存』では紹介させて頂きました。共依存というテーマが、これまで社会の中で認知されてこなかったのは、「都合の良い人間関係」として利用されてきたからではないでしょうか。ちょうどそれは「良い子」が、親や教師にとって「都合の良い子」であることとよく似ています。支配する人にとって共依存は、「都合の良い関係」ですし、支配される人にとっても、別な意味で「都合の良い関係」だからです。
 しかし、適度な依存の域を越えて、支配する形で相手に依存しているのだとしたら、それは相手にとって重荷となっているばかりでなく、自分自身も生きているとは言えません。実は、こんなことを言っている私も自分を「共依存症者」の一人として認めたのは、つい最近のことでした。

 AA(Alcoholics Anonymous)の書籍の中に、こんな一節があります。「罪というものは、たった二つしかない。一つは他人の成長をはばむ罪であり、もう一つは自分の成長をはばむ罪である」。自立した、対等な関係を築くことは、時としてこれまでの自分に対する評価を下げることにもなりかねません。たとえば以前だったら、嫌なことを顔にも出せずに引き受けていたのに、はっきり「ノー」と意志表示したり、自己主張したりするようになるからです。
 もし、こうしたことで相手からの評価が下がったとしても、それは相手の評価であり、逆に自己評価や自己肯定感情(セルフエスティーム)は上がることになるでしょう。ここにもアディクション=嗜癖・依存症からの回復がパラドックスであることがうかがえます。

 対人援助の仕事は、相手の成長や回復のお手伝いです。しかし援助者自身がセルフケアをしていなかったり、自分の抱えているテーマに気づいていなかったりしたら、二次的な傷すら与えかねません。究極の援助とは、私が私自身を援助することだと思います。そのためには、今日一日私は、自分が成長・回復するための投資を惜しまず、自立した対等な人間関係(相互依存)を目指したいと思っています。

2002.9(吉岡 隆)

第3話 共依存/相互依存

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